自宅から1kmほどのところに添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)があります。
とても好きな神社です。
その周辺は古い集落と田んぼが多く、車もあまり来ない落ち着いた環境なので気分転換によく散策に出かけます。
また奈良に住むようになってから休みの日にはこの神社をはじめ奈良県下にたくさんある寺社仏閣や旧跡をよく訪ねるようになりました。
「なぜそこにあるのか」
先日読んだ神社の配置について研究されているこの本はサブタイトルでこう問いかけています。
いや、とてもおもしろい本でした。
宮元 健次
光文社
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『「八百万の神」と言い表されるように、日本には多様な神が祀られている。元来、神社には神の家である本殿はなく、神奈備あるいは三諸と呼ばれる山や、神籬と呼ばれる木、磐座と呼ばれる石などで祭祀を行い、そこに神が宿ると信じられてきた。いいかえれば、自然そのものに神が融合していた。このような自然=神といった概念は、どこからきたのだろうか。本書は、神社の系譜を考える上で従来はあまり用いられなかった「自然暦」という視点を取り入れ、新たな切り口から神々の系譜について考える。』…本書の紹介文より引用。
冬至・夏至・春分・秋分など太陽の軌跡を基準にして祭祀の対象を配置するという原則があり、日本各地それに沿って神社の配置が決定されている、ということをたくさんの実例を挙げて考察されています。
職業柄、神社などにお参りに行くとついつい個々の建築物の作りがどうなっているか、どんな素材を使っているか、に注目してしまうことが多いです。
しかし、境内において建築物の配置(つまり建物と建物のあいだの空白の部分)にこそ当時の人の思いが込められ、またこの本が記すようにもっと大きな視点でたくさんある神社群の相関位置関係に当時の都市計画規模での重要な意味が発現したりと大小様々なスケール感で空間構成を見る必要性を示してくれています。
真っ先に目が行きがちな、モノ自体そのものではなく、モノとモノのあいだにある“余白”の部分にこそ意味を見出す日本人独特の「間(ま)」の感覚は古より現代まで脈々と引き継がれているんでしょうね。
この感性はもっと掘り下げて日々の生活空間にも活かせるように大切にしたいと思います。
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