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2017年10月28日土曜日

日本住宅会議会報2017.10号に寄稿しています

「ホームインスペクションと既存住宅の有効活用について」と題して私が執筆した論評4ページを日本住宅会議の会報に掲載いただきました。
建築設計に携わる者として、また住宅診断に携わる者として今後活用が期待される既存住宅にどのように関わっていけばいいのか書いてます。手に取る機会があればぜひご一読ください。
ものすごい名文。




 

2013年1月18日金曜日

「ま」


自宅から1kmほどのところに添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)があります。
とても好きな神社です。




その周辺は古い集落と田んぼが多く、車もあまり来ない落ち着いた環境なので気分転換によく散策に出かけます。
また奈良に住むようになってから休みの日にはこの神社をはじめ奈良県下にたくさんある寺社仏閣や旧跡をよく訪ねるようになりました。


「なぜそこにあるのか」

先日読んだ神社の配置について研究されているこの本はサブタイトルでこう問いかけています。
いや、とてもおもしろい本でした。

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)
宮元 健次
光文社
売り上げランキング: 212,335

『「八百万の神」と言い表されるように、日本には多様な神が祀られている。元来、神社には神の家である本殿はなく、神奈備あるいは三諸と呼ばれる山や、神籬と呼ばれる木、磐座と呼ばれる石などで祭祀を行い、そこに神が宿ると信じられてきた。いいかえれば、自然そのものに神が融合していた。このような自然=神といった概念は、どこからきたのだろうか。本書は、神社の系譜を考える上で従来はあまり用いられなかった「自然暦」という視点を取り入れ、新たな切り口から神々の系譜について考える。』…本書の紹介文より引用。

冬至・夏至・春分・秋分など太陽の軌跡を基準にして祭祀の対象を配置するという原則があり、日本各地それに沿って神社の配置が決定されている、ということをたくさんの実例を挙げて考察されています。

職業柄、神社などにお参りに行くとついつい個々の建築物の作りがどうなっているか、どんな素材を使っているか、に注目してしまうことが多いです。
 しかし、境内において建築物の配置(つまり建物と建物のあいだの空白の部分)にこそ当時の人の思いが込められ、またこの本が記すようにもっと大きな視点でたくさんある神社群の相関位置関係に当時の都市計画規模での重要な意味が発現したりと大小様々なスケール感で空間構成を見る必要性を示してくれています。

真っ先に目が行きがちな、モノ自体そのものではなく、モノとモノのあいだにある“余白”の部分にこそ意味を見出す日本人独特の「間(ま)」の感覚は古より現代まで脈々と引き継がれているんでしょうね。
この感性はもっと掘り下げて日々の生活空間にも活かせるように大切にしたいと思います。

2013年1月17日木曜日

地震のこと


ずっと近畿に住んでいる僕にとって直接体験した大きな地震というと阪神・淡路大震災が鮮烈に思い出されます。
今日、1月17日であれからもう18年ですか…。



当時、僕は京都造形芸大の学生でした。
1995年のこの日の朝方、枚方市にあった家で寝ていたところとんでもない大揺れで飛び起きました。
幸い家の周辺地域は大きな被害はありませんでしたがそれでも家の中は家具が倒れたりズレたりかなり大きな揺れでした。
その日は午前中から講義があったので多少家のなかを片付けてから学校に行きましたが当時のクラスメイトや先輩、後輩のうち神戸や西宮に家のある人は甚大な被害に見まわれた様子で、その日は「大変な事になった」と学校全体で講義どころでは無かったと記憶しています。

それから明けて翌月くらいでしょうか、
建築関係者は震災地での調査や再建などに関してボランテイア作業の需要がたくさんあり、僕も建築を学ぶ学生の一人として被災地調査のお手伝いに参加しました。
実際に現地を歩いてみると見知った神戸の街が本当にボロボロになっていて、人の力では抗えない自然の脅威にただただ驚愕するばかりで本当に被災された方々のお役に立てたかどうか…。
実際に倒壊したたくさんの建物を目の当たりにした衝撃は今でも強く心の奥底に沈殿しています。

ご存知のように日本は昔から幾多の地震に襲われてきたため建築設計上の耐震のノウハウはたくさん蓄積されています。
ですので現在公的に設定されている基準に沿った強度を保つように設計していれば阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災クラスの地震が来ても建築物自体の倒壊によって人の命が失われるという心配はあまりしすぎなくても良いのです。
ただ、その後に起こる津波や地すべり、火事によってケガをされたり亡くなられる被害は、建物の立地そのものや住まい手さんの防災意識に因るところも大きく設計者の技術だけではどうにもならないのが実状です。

そして、最近よく耐震・免震といった技術を謳った住宅を見るたび、「この家に住んでいれば大きな地震が来ても大丈夫」と住まい手さんを安心させてしまうのはかえって防災意識を薄くしてしまう一面があるのではないかと思えるのです。

 家づくりに関わる者として、むしろそういった技術的・性能的なことを謳い文句にして住宅にとって過剰なスペックを追求していくよりも、感性に訴えかける「永く愛することのできる家」、そしてその延長上で普段から住まい手さんが防災意識を持ってメンテナンスや災害時の対策にかける手間を厭わない「日々かわいがることのできる家」をつくっていくことも結果的に「そこに住む人の命をまもる家」となり得ると考えます。
そしてそれこそが我々のような設計人に与えられた大事な役目のひとつだと改めて思い返した日でした。